ナミゾウカンパニー セカンドプレイス部

みなさま本日のご機嫌はいかがでしょうか。

特定の宗教に深く信仰心を持っていません。父方の菩提寺は京都に本山のある東本願寺の、真宗大谷派です。ハミゾウ(夫)方と母方は高野山が本山である、真言宗です。家庭を持つまではまだ親類一同がそれぞれ若く、祖父母が亡くなった時にはこちらが幼すぎて、葬礼の流れはまったく覚えていません。

30年前、ハミゾウの母方の祖父がかなりの長寿を終えられ、その告別式に参列しました。ご養子に入られたおじいさんは信心深く、また地元では名士でもありました。生前に戒名も受けていて、葬送の日には4人もの僧侶がお勤めされました。交流の薄いまま亡くなられたことと、結婚した相手のそのまた母方の儀式ということもあり、完全に部外者の感覚でできる仕事だけをしていました。

経が始まり、その長い間祭壇を最後部から見ると、文字数の多い戒名が書かれた経木を見ると、吹き出しそうなくらいその書字がうねくねとのたくった文字なのです。つまり下手な字です。さらに中央で経を上げてくださっている僧侶の声が音痴です。結婚までに何度か告別式には参列した経験がありましたが、それまでに聞いた経験のない声。音程が徹頭徹尾不安定です。故人には大変失礼ながら笑いが込み上げてしまいました。

その後親類の話していることを聞いて安心しました。当代の師はまだ若く、これからじょじょに良いお勤めをされるだろうと。よかった、わたしだけが感じていたことではなかったと。

艶のある美声で朗々たる経を聞いている間は、ぼんやりとしながら気持ちが落ち着きます。デフォルトモードになっていると思います。20代では何一つ響かなかった僧侶の言葉に真面目に聞き入るようになって、面白い「法話」が記憶に残ってきました。中でも一つ独自性があって笑いながらも大きく納得した法話があります。

父方のきょうだいが他界してからしばらくして法事があり、参列しました。僧侶は体格もよく大きな声で、前述の時とは違いました。経が終わり、みなを前にして法話が始まります。

「故人様は幸せですな。これほどたくさんのかたがお参りにみえているのですからな。早いもん勝ちですよ」

この「早いもん勝ち」には少し驚きましたが、その後も続けて話してくださったことから、確かにそうだと納得しました。勝負事が嫌いで、負けず嫌いの人が嫌いなわたしですが、この勝負にはぜひ勝ちたいと願っています。

父方の真宗大谷派の師から聞いた法話にも、初め驚き、のち納得しました。師に、

「新仏をまつるのが初めてですのでお聞きしたいのです。祭壇には何を供えたらよいでしょうか」

「食べ物は供えなくていいですよ。死んだ人は食べませんから」

「承知しました。ありがとうございます」

簡潔明瞭、お経をあげることだけで十分と聞けて、父とふたり、先に他界した母へは食べるものを供えずに過ごしました。たくさんの教義があるとしても、娑婆にいるわれわれが続けていけることが第一と今も思っています。

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