みなさま本日のご機嫌はいかがでしょうか。
「over the sun」を家事のおともに聴いています。あたらしいエピソードが配信されるとそのタイトルをさっと読みます。2023年3月10日のタイトルが「笑う声」。はてな?再生開始してみます。配信時間は3分です。パーソナリティお二人の笑い声が流れてきます。会話は一切なく、ただひたすら笑っています。半分あたり聴いたあたりから、「何を笑ってるのさ。」と独り言が出て、次にはなんの理由もなく一緒に笑い出してしまいました。
大昔。こどものころに「笑い袋」というおもちゃがあったのです。クリスマス時期だったのか、誕生日だったかあるいは大人たちが宴会の景品でもらったものだったのか。その袋のどこかを押すと、外国の男性の笑い声がワッハハハハ、ワーハハハと延々つづきます。その音を出して、ひたすら笑っていた記憶があります。
「もらい泣き」と同じく「もらい笑い」もあるのでしょう。また彼女たちそれぞれに声質が全く違い、笑うスタイルも似ていません。その親和性のなさが返って新たな笑いを誘います。これ以前のエピソードの中で、加齢とともに下がってきたまぶたを、日本のティーンエイジャーが使う二重まぶた作成ツールで簡易整形みたいなことをしていた回がありました。完全におとな二人が、ぎゃぁぎゃぁ言い合いながら「できたっ。」「これでいいの?」などと騒いでいます。お互いの目を見て、笑いだすのです。聞こえてくる音声だけで想像するだけでもじゅうぶん面白そうだなと、「もらい笑い」しました。
ドイツの諺だと思っている「にもかかわらず 笑う」は大事な処世術の一つですが、やはり苦しくてつらくて、あるいは怒りばかりが湧いてきてとても笑えない時も多々あります。その時このわずか3分間の「笑う声」が噴火している脳をこちょこちょくすぐってくれます。笑えたからと言って生活が楽になることも、嫌いなアイツが目の前から消えてくれることもないけれど、少し愉快方向へ進路が変わるようです。
わたしにとってこれは、最近起きたセレンディピティでした。
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