ナミゾウカンパニー 美術部

皆様本日のご機嫌はいかがでしょうか。

美術は義務教育9年間の間に、教科として触れていても制作のセンスや技術は低いまま終わっていました。高校一年時だったと記憶しています。教科書の表紙に採用されていた絵画にすいこまれました。現代国語でした。東山魁夷さんの

「緑響く」

です。静かで人物像は無く、季節は秋冬以外としても日本国内なのか海外の国なのか、時代はいつなのか。たくさんの解釈ができる不思議さを感じました。年齢を重ねた今もこの作品は脳内にあり、高校時代の教室を思い出します。これが他の教科だったらきっと記憶から強制消去したと断言できます。国語系統だけがかろうじて同級生たちについていけた唯一の教科。それほど学習成果の出せない怠け者でしたから。美術作品を鑑賞する楽しさを知ったのがその現代国語の表紙だったのです。当時詳しい友人がいて展覧会にも一緒に行ったり、また自分で探して美術館へ出かけました。読書に乱読という読み方を指す言葉があるのと似て乱鑑賞をしているうちに少しずつ惹かれる方角が狭まっていったようです。

長らく理解しやすい印象派作品や肖像画、宗教画を観ました。その後美術品を収蔵、展示する美術館そのもの、たてものにやっと目が行くようになり、東京都現代美術館の改装後の写真を目にしたので珍しいから行ってみよう、と企画展期間ではない時期に行ってみました。

広くとられた敷地にエッジの効いたたてものがあり屋外展示作品もあり変化に富んでいます。ですが前述の通りその名前が言える実存の彫塑作品や二次元でわかる絵画ばかり見てきたので深い感動もなく「ほー」で終わり、出口はどこかなと思った最後に、宮島 達男さんの作品の前に来ました。

「それは変化し続ける それはあらゆるものと関係を結ぶ それは永遠に続く」 1998

です。デジタルの数字が点滅しています。作品と対面する壁面にベンチがあり、座ってみていると、一つ一つの数字の明滅間隔が違います。しばらく眺めていて、なかなか次の数字に変わっていかないピースと追えないほどの素早さでカウントしてはまたそれを繰り返すピースがあり、となりあうピースが違う速度で切り替わっていく。親近感を持てるのは、動きに時間のかかるピース。どんどん進んではまたカウントを始めるピースには「ごくろうさんだ、ついていけない」と思う。時は金なり、タイムマネジメントできる人は生活も豊かになりやすいとはよく聞く正しい生活態度だとは思うのですが、幼少期からできない。遅い活動しかできないナミゾウもこの大きな作品の一部にあるようにうっすらとでも存在していていいかなと思いました。

宮島 達男さんの作品は香川県 直島の「角屋」、ベネッセミュージアム内にも展示があります。どちらもデジタルモチーフを表現しておられます。22年春に瀬戸内芸術祭で鑑賞できました。東京都現代美術館の作品は赤一色ですが「角屋」内の作品は多色が使われ、違う印象を持って帰りました。

現代美術、とどこからくくるのか美術史も定義も知りません。しかしともかくは脳が喜ぶもの、または疑問だけが湧いたままになるもの、はナミゾウにとっての「今生きている美術品」です。

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