ナミゾウカンパニー 諺部2課

皆様本日のご機嫌はいかがでしょうか。

ドイツで言われる諺と聞きました。

「にもかかわらず 笑う」

散々な目に遭う、病を得る、そのほか辛いことの種類や組み合わせはたくさんあるでしょう。安心して眠ることのできる住まいがあり、食料を買い、文化生活ができる。病が重くなく交流できる友人知人もいる。幸福感はそれほど幅のあるものではないですね。その環境にいる人はことさら「わたしは今幸せなのか?」とわざわざ自問すらしないでしょう。

大勢の同年代を見かけ、少し話す機会が先日ありました。その場で見聞きしたこと、実際に会話をした帰り道から、「わたしは努力してこなかったんだなあ。」とつくづく思い返し、沈んだままの気分で帰宅しました。家族はといえば、ハミゾウ(オット)はおよそ彼我を比較しません。うらやんだ発言や、自分がみじめだとも言いません。アミゾウ(子)はそんな父の気風を引き継いでいるようで、ごくまれにぼやくことはあっても、その回数は少ないです。

翻ってわたしはどうか。幼少期から学生時代まで、日本の公立学生であれば採点され、順位がつけられる。そこへ、女子ならではの容姿や異性との関わりの豊かさに差異があって、欲しているそれらが自分に乏しいと悲しくなり怒りに変わっていた時期もありました。定期考査のおそろしいほどの低得点。音楽、体育、美術の到達点も低い。どうにか国語と社会科の成績だけが「怒られない」水準の学習効果を出すことができただけです。

目にする友人の成果とことごとく比較し、悲しむ環状線周回をするのです。自律した努力もしていなかったのに、です。環状線はわたしの「感情線」でもありました。気持ちがざわめくなあ、ふたりでもっとしゃべったり遊びに行ってみたいなと好意を持った男子はサラリと爽やかな同級生とペアになっている。環状線には終電があり、深夜早朝は眠るのでその時間だけは平穏でした。

成人し、働き始めても同じグルグルを回ってきました。踏ん張らない、努力ができないのだけれど果実は欲しい。土壌を耕さず、肥料も考えず、種さえ蒔いていないのに「収穫」したい。手に入らない自分と比べ、他人はいいな〜いいな〜と思うだけ。今書いた文章をつらつら読むと、その馬鹿らしさが鮮明です。

年齢を重ね少しは、ねじれたねたみ気質が改善できたかと思えば、先述の少人数での集まりで、知人の生活ぶりや、年齢相応の落ち着きや容姿を間近にみて、予測を裏切らず「いいな〜いいな〜オバケ」はあらわれました。

同居家族がいるといないに関わらず、仕事を続けている。グランママになっている。趣味どころかインストラクターになっている。美貌がさほど衰えていない。落ち着いて話す。自慢とはっきりしない伝聞を垂れ流さない。大人だ、と思いました。

そこで「にもかかわらず 笑う」

の登場です。自助努力をすっ飛ばして隣の庭に咲く花の鮮やかさと芝生の青さをうらやみ、すねて終わる。その我が身を笑うことにします。経済事情の悪化で自宅を手放し、ほそぼそと働いていたパートタイムの仕事も続ける力が出ず辞めてしまい、置かれた現況の際どさは笑うどころではないのです。ですが、家計墜落寸前に実父が残してくれた小さな家を頼りに、今は老いていく先に必要な現金を用意しようと節約しています。

苦しい時ほど笑顔で、との言い方も聞きますが、この「にもかかわらず 笑う」の、にもかかわらずの響きに共感しました。○○○○○○にもかかわらず、と○部分にはいくつも生きている上での困りごとやっかい事を書き入れることで万能の言い聞かせになっています。

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