ナミゾウカンパニー 諺部1課

皆様本日のご機嫌はいかがでしょうか。

今日は女性の祝日です。国民の休日に指定されてはいないんですね。こどもの日は全国民の休日なのに。さて置き。

ふた親がこの世から旅立ち、我が身の老いが加速してきてやっと身にしみてきた日本の諺です。

[後悔先に立たず]

ノートに下書きを始めた当初は

[親孝行したい時には親はなし]

にしようと考えてすぐに変えました。もしまだ長らえてくれていたとしても、彼らにねぎらいや感謝の言葉を伝えたり、手助けしたかわからないのです。けれども今年もお出ましいただいたお内裏さまを見、装束や髪の乱れがあってもその顔は美しいままです。父は男子第一の考えを持っていた人でしたが、生まれて育ててみると容貌は別として、女児が可愛いものだと思ってくれたようです。尋ねて教えてくれたことがあったかもしれませんが記憶にない、当時の雛人形の価格はきっと両親にとっては痛い物入りだったはずです。裕福ではないのは小学校高学年になると友達の家との違いでわかっていきました。家計を預かってみて初めて親たちの苦労が想像できましたが、それでも面と向かって苦しいなかで高価なお人形をあつらえてくれてありがとう、感謝しますとは伝えた覚えがありません。

そこで[後悔先に立たず]です。普段の雑談の中でもよかったのだから、「ありがとう」と言っておきたかった。父とも母とも20代後半にいさかいをし、わだかまったものを持ちながら結婚で家をはなれ、その後はこちらが我が家庭で生活することに手いっぱいの間、先に母、約10年ののちに父も旅立っていきました。こどもを育ててみて、感動ホームドラマのようにお互いが愛情表現をゆたかにできたり、素直に向き合っている家族ばかりではないのは現実とわかります。だから「ドラマ」、「フィクション」なんです。それでも後悔はあります。方法がないので、遺影に向かって、「ありがとうございまーす」と言ってはいます。シーーンと返事はなくても「言えた!」と手応えをひとり感じます。

しょんぼりしてしまったので笑い話でお開きにします。実家では猫と暮らしていました。2代目の子が活発でしたいと思ったことはなんでもやっちゃうよ型でした。先述の通り両親がはりこんで買ってくれた雛飾りは五段飾りで牛車や長持なども年々買い足してもくれて私には豪華なあつらえでした。

ごく小さい頃は親も一緒に飾り付けをしてくれたのですが、いつからか「嫁き遅れないように自分でおやり」式になりました。つまり足場設置、用品開梱、人員配置、そして3/3以降の早い時期に速やかに撤収ということです。それでもやはり飾ると綺麗だし春だなぁと感じるしいつも面白く思っていました。ある夜。寝ているとカサカサ、しゃしゃと音がするので見ると、最上段つまりお内裏様がおすわりのところに顔がみっつある。真ん中に白くない黒い顔がある。んんーー。と暗順応してきた目をこらすと猫がセンターポジションで無理やり座っている。「これっ、ダメだよぅ」というと毛氈を敷いた段を雑に降りて逃げる。三人官女さんやら右近の桜やらがズレズレになってしまう。別の日にはお内裏様の刀を抜き身でくわえて走っていました。たぶんビロードのような毛氈の上が暖かくていごこちよかったんでしょう。そんなやんちゃっ子の猫もまた女子でした。

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