みなさま本日のご機嫌はいかがでしょうか。
これまでのヒト歴60年超の間、生存している時間以外に長く続いたことといえば、婚姻生活の34年が最長です。しかしこれはわたし一人で成し得た行動ではありません。ハミゾウ(オット)の忍耐がその半分を占めます。それ以外ですと、書き散らしただけの家計簿が同等の年数で、それ以下のものは日経新聞を読解することくらいしか思いつきません。
打ち込んでいる趣味も仕事もありません。新聞や雑誌、文芸本や映像のセリフその他を目にし耳にして気になり自分では使いたくない、むしろ嫌だなと感じる「ことば」と「表現」がいくつかあります。
① とはいえ
② そうは言っても
③ ほぼほぼ
④ 「大丈夫です」
⑤ 「結果」が「ついてくる」
———————————————————————————————————————————-① 新聞紙上でよく目にしますし、国営放送の解説委員さんも使います。②と同じく前述の、あるいは紹介された言説や報道に対して否定方向の言葉を述べる際に本当によく使われます。これに対してなぜ嫌かといえば、「くどい」と感じるからです。
③ だいたい、の言葉で表したらよいのではないかと、これも繰り返し街中で聞いた時に「くどい」と思いました。
④ これは嫌というより、意味がとれず初期に混乱しましたし、そもそも「大丈夫」じたいを平素から使いたくないのです。「平気です」「問題ないです」を使いたいと工夫するように考えていて、それでもつまずきかけた友人にとっさにかける言葉は「だいじょうぶなの」になります。驚いたのは会計の順番を待っていた時にレジでの会話を聞いた時です。係の人が、
「ポイントカードや当店のアプリ、駐車券はお持ちでしょうか。」
それへ客が、
「だいじょうぶでぇーす。」
と返答しました。別の時に今度は私がそのショップの会員カードを持っていないことを告げるとスタッフさんがここでもまた、
「本日カードのお作りはだいじょうぶですか。」
と尋ねてこられました。何度かそのやり取りを経験してやっと、
「これは街でバズってるな。」
と気がつきました。
⑤ なにごとかに取り組んでその先に現れたものの全てを結果というと思っています。成功したならそれは「成果」でしょうし、本人が納得できなくても「結果」です。「……..の結果に終わる。」と報道で聞くので、不本意のことにも使うと認識しています。他人のエピソードを長々聞いていて、その結末を早く知りたくてセカセカと、
「結果、どうなったの」
と聞いてしまうこともあります。そこにはバンバン使っています。
以上のように、いちいちひっかかって、突っかかって疑問に思い、自分ではそういう言葉のつかいかたはしないわと決めています。しかし何が惜しいのか、貧乏暇なしを地で行くのか、言葉を短縮して呼ぶことが大好物です。
例としては鉄道駅名。阪神間には「西宮」の名称がついた駅が複数あり、JR西宮と阪神電鉄西宮とを区別して前者を「ジェイ西」、後者を「ハンニシ」と自己流で言います。兵庫県県庁所在地の三宮のまちを「サンノ」と言う。あと二音、ミヤだけなのに縮めたい心理。なぜでしょう。今すぐには出ないのですが、マクドナルドでの女子中高生の会話が聞こえてくるとさらに、パラレルワールドが展開されており、個人名団体名、地名が見事にシュリンクされており、これは仲間内でないと理解できない暗号世界です。ところどころで「ウメハン」と聞こえるので、「あぁ、阪急百貨店梅田店のことか。」と聞き取れるくらいです。
それますが、世界中の会話スピードと情報量において一、二を競うのが、広東語とマクドナルド店内での女子高生語と仄聞しました。あながちジョークとも思えません。関西言葉ネイティブ60年超のばぁちゃんにもわからない短縮語が展開されています。LINEトークのわかりました、を「り」という感じですね。
諺として言いたいのは、
「蟷螂の斧」
です。こんなふうに人様の言葉使いにいちいち違和感をもち、そんなの使わないんだから絶対に。なんて内心でネチネチ思うわりに、ウッカリ使ったりするもんです。それらが訂正され使わない人が増えるといいと願っても、カマキリがその前足を人間の作った車に向かって単身戦っても勝ち目はない。それらの表現がひんぱんに聞こえるからと言って世界ぜんたいに危害が及ぶわけではない。
最後まで聞いてもくれないでしょうが、以上の考察をハミゾウに訴えたところで一言、
「アンタ、暇やな。」
と返ってくるだけです。会話では相手に失礼の少ないようにだけ、こころがけるつもりです。
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