ナミゾウカンパニー 諺部1課

みなさま本日のご機嫌はいかがでしょうか。

国営放送の8時台ドラマを録画していて、その流れで週間番組の一覧が視界に入る時があり、お宝発見に巡り合います。

先日もEテレの合間に「最後の講義」のタイトル、それだけでしたら見逃すところ、きらりとひかる「みうら じゅん」の文字が載っています。迷うことなく録画をしてまずは2度視聴したところです。これは2019年制作の番組でさまざまな方々が渾身の講義を行うものだったようです。

彼は還暦をむかえた時期で、赤いお召し物で登壇。空気がピリッとすることなくぬるっと開始されていきます。こういう「はずし方」が素敵なお兄さんです。

安住紳一郎氏のTBSポッドキャスト、堀井美香氏の「wednesday holoday」での出演回でもはずしてはずしての徹底した受け答えながら、実はイニシアチブを取り続けているんです。それは彼が小学生の頃から好きで興味を持ち続けている仏教解釈が土台にあるように思えます。

無宗教主義の私は天地創造の神、全知全能の絶対神がおられる、存在することに常に懐疑状態で生きてきました。それでもみうら氏の語ることにはいちいちうなずいています。

別のどこかで聞いた彼が提唱する原則。

「比較三原則」

地球に生きるヒト族としてみなが守らねばならぬであろう原則と並び立つ考えと思いますね。

この比較対象は、我が親、過去の自分、他者。だそうです。一度目に聞いた時は単になるほどと浅く納得しました。何かにつけ、ひがみ、ねたんでは我が身の惨めさにうじうじしている私にとっては、対象は一つだなと最近気づきました。

まず両親。父母についておとしめるつもりはありませんが、取り立てて名を成したふたりではなく、煩わしい言動の多い人たちでしたから、親たちと比べて私は・・・と嘆いたことも悔しく思ったこともありません。次に過去の自分。あの日の私ってよくできていたなぁ、輝いていたなぁ、あるいはメンズから言い寄られていたなぁその他さまざまな栄光の記憶をお持ちの方がたとは180度地平の違うところで生きてきました。どんなに記憶操作しようとこねてみても何一つ浮かばず、出てくるのは数えるのも嫌な数の失敗、失言、暴言です。

結論としまして、すべきは「他者」と比較せぬよう鍛錬です。

これは容易ではないのです。容貌体型、学業成績の劣後については若い頃からそういう位置にいるのだという諦めを持てていた、これは数少ない我が美点と思っています。しかし成人し働き始めやがて家庭を持ち、娘が学齢に差し掛かった頃からこの「比較」の呪いにからめとられ続けています。安定した家計運営、清潔な家、フルタイムの仕事を持ち、社会性を身につけている。会話の内容も高度。

それらの要素が非常に乏しい我が身を毎日毎日「比較」し、おとしめてはジメジメしている。アルバイトを再開した昨年の6月からも、そこで新たに同僚として知り合った同年代の女性の生活を垣間知るたびに、雑でお粗末な私がくっきりするのです。

ところが最近自らで編み出した方法でこの「ジメジメ」から離れることができそうな気がして、実際に気分が変わってきました。

自分以外の他者は全員「芸能人」なのです。歌劇団を退団され、映像にお出ましになった頃からずっととても好きな「天海祐希」氏なのだと思えば比較などとんでもないことです。こちらは撮影現場のエキストラどころかその辺にいない一個体、それだけ。

イージーゴーイングになりました。この起点が「みうら じゅん」兄の「比較三原則」であることは間違いない。素晴らしい教えを知ることができ、ありがたい限りです。

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