中高生の時期は運動部に入部していた。当時大いに人気の出た少女漫画の作品のひとつ、「エースをねらえ!」に触発された女子は多く、部員は一学年に30名前後いた。体育の成績は低空飛行、興味もなかったテニス部に入部した理由はメーカー品のスニーカーが手に入ったから。
いとこのお姉さんがシューズメーカーに勤めていて中学の入学祝いにとプレゼントしてくれたのだったか。記憶が曖昧だけれど、テニス漫画が大好きだったのは間違いなく、3月まで小学生だったわたしは浮かれた気分で軟式テニス部へ仮入部した。
昭和中期の公立学校では略して「部活」へ入部を推奨された。特段の理由がない限り何かのクラブ活動を皆がしていた。入部第一希望は「華道部」。しかしながら母に即座に却下され、体を動かせとテニス部にさせられた。入部希望者には友人もいたから考えなしに入ったが顧問教諭は厳しく、今に至るまで最もきらいな「軍隊調」。
先輩絶対、サボり厳禁、声出し必須。コートをかろやかに動き回りポイントを取っていく「エースをねらえ」主人公の岡 ひろみになることなく、また欧米貴族風の「お蝶夫人」がいるわけでもなく先輩方のボールを拾い集め続け、公式戦ではエキストラの応援人員として絶対参加。この流れで2年と3ヶ月所属して終わった。
高校ではあんなしんどい運動部活動を二度とするまいと決心していたのに、一年時の担任がシニカルに攻めてきた。どこへも入部しないのはなぜかと個人面談で聞かれ、
「友人が誰も入りませんから部活動はしません」
と言い放った。すると彼はすかさず、
「キミは他人の行動に左右されるのですか」
の要旨で言い返してきた。術中にはまったわたしがこれまたテニスのラリーのように素早く言い返す。
「いいえ。人に合わせてるわけじゃないです。どこかに入ればいいんですか?」
「キミ、出身中学ではテニス部を続けましたね。テニス部、ありますよ」
「そうですか。入部します」
ニヤリと口の端を挙げた担任は連絡用紙にナミゾウ入部、と書いたのだろう。そこまで見てはいないが。結果またまた2年と3ヶ月、今度は硬式テニス部を続けた。顧問教諭とも親しくなることなく、公式戦では一勝もできず漫画世界で展開される男子部のかっこいい先輩と交際に至る。ことも、皆無だった。中高と通算して4年と半年履き続けたテニスシューズに全く思い出がなく、靴洗いをしなきゃならなかったことだけ記憶している。
私の20代前半は日本が高度成長の頂点に差し掛かる頃。海外旅行にも多く出かける時代に入り、運動靴、ではなく「スニーカー」がおしゃれアイテムとして定着していった。その頃一度もレースアップのスニーカーを履いていないと思う。飽きていた。強豪校に在籍していないから練習が過酷ではなく、中程度の技術すらなかったから負けた悔しさも感じなかった。公式戦で対戦した相手は全員が数段上手だった。それでももうスニーカーは見たくなかった。
年月はそこから35年以上経ち、今惚れ惚れと気に入っている履き物。それがスニーカー。スイス発祥の「on」。日経新聞の変化球コラム「ヒットのクスリ」で知ったシニアの足に好適品との紹介記事を読み、販売店を探し当て購入。ヒットです。cloudとの名称の通り、浮く感覚。このメーカーとは良い相性だと実感してたくさん歩く日が増えた。
もっとじっくり練習に励み、せめてラリーが続き、ファーストサーブが正しく入るところまで努力すればよかったなぁとonを履いて歩きながら思う。
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