ナミゾウカンパニー 演劇部

皆様本日のご機嫌はいかがでしょうか。

美容師として働いていた頃のお客様がある日

「髪を伸ばしたいの」

とおっしゃり、その日から長さを残していくカットにしていきました。いつもキッパリと短めのスタイルがお好みのかたでしたから、気が変わられたのかな推測する程度でいました。お客様の方から、

「実はね、お仕舞いの稽古に行くことになって。和服で髪を結いたいのよ。以前から姉が習っていて、能の上演にも誘われていつも渋々おつきあいしてたのよね。観てたってわかりにくいし、第一退屈で眠いし。だけど自分でお仕舞いを始めてみるとこれが楽しくてね。続けるの。」

と謎解きをしてくださいました。当時22歳程度の、地味な育ちのわたしは「能」そのものの姿すらわからず、ぼんやりと相槌を打つのみでした。

それからそう時間を置かずに、催し物のニュースを見ていた時、「大阪城薪能」を知りました。野外イベントの一つ、広いところで観劇するのも一興、程度のきっかけで観に行きました。演目を記憶していないのですが、ともかくその一回で「能沼」の斜面へずるずると引き摺り込まれました。

お謡をしっかり習われている人なら、一言一句わかるでしょう。それらの何一つ聞き取れず、ただその所作と決まりの演技を観ているだけ。それなのに心地よくそこに自分がいる。これは別作品も観て確かめたいと決め、休日に鑑賞しました。

記録や管理が杜撰なため、干渉した演目と上演場所を全て覚えてはいません。しかしそのどれもが美しく、広く音声(オンジョウ)が響き渡りながらも静か、という不思議感覚を毎回受けました。好きな演目は全てですが中でも一つだけ鮮烈に残る表現力にうなった一番が

「石橋(シャッキョウ)」

です。およそ畳一畳分の決められた場所で舞い、止まり、跳躍する。少しずつ能衣装や作法を本で読んでいて、能楽師が着ける「面(オモテ)」の目の部分にはにはごく小さな空間しか開けれていないと知っていて、驚きました。能はバタバタしない表現を完成するため、稽古という名の訓練が必要なスポーツ、彼らはアスリートです。

なぜ何度も能を観たくなるのか。演目が終わり、演者と囃子方、地謡それぞれがするすると戻っていく、その何分かが一番好きです。舞台の橋掛りを揺れることなく進み、揚げ幕がさっと上がると鏡の間に向け去っていく。何事もなかった。つい先程まで自分が観ていた上演内容さえも、無かったことのように消えていく、その不思議さを体感することに酔います。

無理をして張り込んで買ったいい席に座って眠ってしまったこともあります。舞台上のアイ役の狂言師がうとうと眠っているのを観たこともあります。「寝てしまってもいいですよ」と言われる能楽師さんの言葉もありますから、それでいいのです。

先述したお客様はどんどんお仕舞の楽しさに引き込まれていき、何度目かに来店された時には

「夫に、ごめん、お仕舞が面白すぎてあなたにかまえなくなってきたから、ダメだったら別れてください」

と言ったところ、

「そうかぁ、そんなん、もっと早よ言うてくれんと、次の人を探すん苦労するからもうええわ」

と返答されたとのこと。夫殿も洒落た人だと、若かったわたしでもそう思いました。

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