ナミゾウカンパニー HR

皆様本日のご機嫌はいかがでしょうか。

高校卒業まで、公立校でした。小、中学校時代は学課の終わった後の短い時間のことを「学活」と呼んでいたように記憶しています。

学力、体力ともに「要努力」の位置にいましたから、登下校すること、行事に参加すること、提出物を出すこと。それらの決まりごとに遅れずについていくことだけであくせくしていました。問題や騒ぎを起こしてクラスをかき回すことはなかっただけで、およそ「平凡な生徒」ですらなかったそんな12年間です。

先日思いがけない偶然から、中学一年時の担任教諭と再会しました。先生はすぐにはわたしを思い出されなかったようですが、ラストネームを言うと「ナミゾウ、やろ。」とファーストネームを間違いなく言ってくださいました。退職されてから長く、しかも校長まで勤め上げられたことは地方版の記事でお見かけしていましたから、多忙な職位と膨大な教え子の中忘れ去られていて当然のところ、明快におっしゃったので、内心「あら。なんだか問題ある生徒だったのかなわたし。」と不安になりました。卒業後一度も母校へ訪ねて行ったことも、年始のご挨拶もしてこなかった幽霊生徒でしたのに。老化のせいか、「ナミゾウ」をおっしゃってくださったあと、泣きそうになりましたが、同級生が幾人もいる中、ぐっとこらえました。

それにしても再会の後、帰宅してからなぜその先生にお会いしたいと思ったのか考えました。クラブ活動の顧問もされていましたが、違う部の所属でしたし、担当科目の体育はさっぱり出来が悪いありさまです。ああ、と思い出したのが、登校日にほぼ毎日あったHRのことです。笑うとよく陽に焼けた顔をくしゃっとして顔全体で笑う。だけど、怒り出すまでの導火線も非常に短かった。嫌いだった、思い出したくもないと憎しみさえ持っている生徒さんが何人もいるとは思います。ですが、今に至るまで「魅力」に欠けるわたしが一度だけ、先生とクラスの数人が「やるじゃん。」と少しだけ思ってくれるきっかけを作ってくれた先生です。

生徒会選挙の時期に、先生は

「このクラスからも出なさい。」

とおっしゃる。一年生が?とクラスの生徒。え?

「生徒会は生徒が運営するもんや。一年生やからええとかじゃないぞ。立候補して当選してそこへ参加する、そこが大事なんだ。」

とにかく熱い。陽の全く当たっていなかったわたしがなぜ立候補者として生徒会選挙に出たのか。担ぎ上げられたのか、指名されたのかもう忘れました。無理強いでも集団の圧力でいじめに近い形での「出馬」ではなかったことは間違いありません。その選挙活動、当日の立候補者演説、投票、落選。そのどれもが珍しく愉快な思い出として残っているからです。クラスには成績性格ともに善良で、はきはきした子は何人もいました。それでも、ましな書字が書けること、国語の成績だけが中位より上だったことを見ていてくれたのでしょうか。先生が生徒会書記に推されました。間抜けなことにお会いするとは思っていなかった再会の当日、まずはじめにそのことへのお礼を言いたかったのに、しょうもないことばかりしゃべり倒し、言えずじまいでした。

街頭演説ならぬ校内立ちで「お願いしまーす。」と声を出し、顔と名前をを知ってもらう。ジロジロ見る生徒、素通り。立候補者演説の当日は、隣のパイプ椅子に同じ書記候補一学年上の先輩が座っていました。同級生が入部しているソフトボール部の女子生徒です。演説の順番までの待機時間に、首から下げていた毛糸の輪をするりと出し、選挙とは無関係なことを話しかけてくれながらその糸で器用にあや取りの技をを次々にしている。鈍感なわたしでも「ああ、この先輩はゆうゆう、自信があるんだな。」と気づきました。

その演説内容の言葉一つ思い出せないのですが、全校生徒を前にしてスピーチをした。その感覚はおぼろにあって、今自分が原稿を読み、主張をしているけど芋やかぼちゃに向かってぶつぶつ言っているんだとなぜか壇上で突然思い、震える、原稿がかすむ、声が出なくなるのいずれもが無かったように思います。やはり鈍感の能力は平均値以上に持っていたようです。各学年8クラス×3学年その人員を前にひとまず主張できた、結果が落選であっても貴重な経験でした。

この一編を脚色するために先生の言葉や態度を美化しているかもしれません。熱量を持ってHRでクラス全員に向かってきた大人だったんだと、それについては大きな記憶違いはしていません。失礼な言い方です。尊敬する、敬愛すると表現する感情ではないんです。ではなんなのか。単純に親しみを持てた。先生が怒り出し、HR時間がなかなか終わらなかったことにも理由があったんだろうなぁ、今ならわかります。わたしが他人について思い出す時、輝かしい何かについての記憶ではなくて、「魅力」です。

いちいち言動が面白い、親とは違う小さな優しさを持っている。それが「魅力」として何十年経っても心に残ります。

K先生。再会はかなうでしょうか。たぶんそれはわたし次第です。歳を重ねるごとに人付き合いに気後れすることが増え、友人知人と楽しくおしゃべりした後、自分の不甲斐なさが背中にいつも以上に重く乗るばかりです。ですが、K先生。お礼を言いたいと思っています。魅力ある先生へ。

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