ナミゾウカンパニー 美術部

みなさま本日のご機嫌はいかがでしょうか。

ごく短い期間でしたが、10代の頃裏千家の茶道を教えていただいていました。教授は穏やかな方で、きつく叱ることもなく、のんびりと通っていました。中学生後期になり、教室へは通わなくなりました。その後、母のお客様が茶道と華道の二つを教授されている先生を紹介してくださり、ふたつは難しいので華道だけに通い始めました。

華道は未生流本流の伝授でした。師匠はとても厳しく、毎週出される花材を前にうんうん唸りながらどうにかこうにか活ける。それから師匠に、

「先生、お願いします。」

とお願いを言います。生徒を多くとっておられましたから、順繰りです。つ、と来られて、

「ナミゾウさん、藪蚊が出そうや。」

とビシッと注意されることがしばしばでした。姉弟子さんたちの仕上がりはどれも姿が良く、いいなあとうらやましく思ったものです。わたしはやり直し活け直しをしますが、最終には師匠がため息をつきながら電光石火のごときはさみ使いで完成するのです。

師匠はふわふわせず言葉も短く厳しい方でしたが、活け方が好きでした。さっぱりとキリッとしていました。もちろん流派未生流の基礎から大きくズレてはいませんが、柔らかな花材を使った時でもヤワな風情がなく、立ち姿の「決まった」活け方でした。後年東京の歌舞伎座で「坂東玉三郎」氏の舞台を鑑賞する機会に恵まれた時に感じたような、背筋の伸びた女形のようです。

さて、通っていくうちに免許をいただくための試験日がやってきます。ヒバという枝物を制限時間内に決まった形に美しく仕上げることが課題です。何度か師匠のもと、練習をします。試験日が近づいたある稽古日に、すーーと師匠が横に来られ、以下のようにおっしゃいました。

「ナミゾウさん、あのねわたしこれまでに何人も教えてきたの。試験に落ちた人、一人もおらへんのよ。しっかりね。」

冷や汗ものです。あららそんなにわたしの活け方は怪しいのだろうかと。

試験当日。広い試験会場で用意されたヒバの小枝や葉を落とし、枝を矯め(元あるままではなく型になるよう曲げたり伸ばしたりを行う)ていきます。師匠の言葉も脳内にあり、不合格ってなことになったらずいぶん叱られるんだろうな、かっこ悪いなと、もはや不合格決定の気分で師匠からかけられた言葉がよぎります。時間も少なくなり、これ以上はできん!と手を挙げ、採点担当の教授をお呼びしました。

「はいはい…..ふーーん。」

と来てくださった教授はご自分のはさみをエプロンのポケットから取り出し、ぱち、ぱちグィぃと枝をカットして形を整えていかれます。もはやわたしの作品ではないようなもので、

「うん、と。これで、はぃ、いいですよぅ。」

と確認され、「合格」しました。安心しました。今でもあれでよかったのかしらと思い返します。間違いなく後日師匠から指南許可の看板をいただき、わたしは人様にお教えしていいことになっています。楽しい経験でしたし、何より師匠に叱られることなく、また師匠自身の黒歴史を作ってしまうことなく合格できてよかったと思っています。

同級生が同じ時期に試験を受けていて、

「ねぇねぇ、先生からこんなこと念押しされてんけど、あんたたちは。」

と聞くと、わたし以外誰もそのような注意は受けていませんでした。びっくりです。師匠はあまり長くはこの世に居られず、他界されました。心底わたしの不合格を気にされておられた様子と、種類も色も違う花材を素早く活ける「美事に活かった」花の姿は忘れません。おばさんになり、ずうずうしくなって改めてあの時のことを恐る恐るお聞きしたかった。先生がいらっしゃらなくなってからも何度か華道展には行きました。素敵な作品はいくつも拝見しましたが、先生の活けたお華が一番好きです。そちらでも風の通り抜けるお華を活けていらっしゃいますか。

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