みなさま本日のご機嫌はいかがでしょうか。
母の日をどのように過ごされましたか。問題なく関係が続いてきた方々、そうでなかった方々、様々であろうと思います。
小学校の高学年になった頃から、母とは折り合いが良くないまま成長しました。母が進行する病につかまり、徐々に衰弱していく病状の中でもいやな気持ちにさせられることがあり、できることはないんだなとあきらめていました。
長く生きてくると不思議な感覚を得ます。かまってもらえなかったさびしさをうらみがましく持っていたのに、それらがどんどん薄らいでいきます。放射線治療のために一時入院していた病院へ様子を見に行った時、いつもわたしの顔を見て困ったような表情で、何も言いません。ところが弟が後で来るよと伝えたとたん、そうかそうかとはらはらと泣き出します。わたしが帰るねと言うとまた無表情になる。叱られる、注意されるのどちらかが多かったのでそれすらもないのは、娘であるわたしを認識できていなかったのでしょうが弟への感情との落差に、当時はかなり悲しい思いを持ちました。
その感情とは別に、母が楽しい人であったことも記憶にあります。商売繁盛、笹持って来い、と西宮えびす神社へ毎年参拝していた時のこと。近年まったくお詣りをしていないので今の様子を知りませんが、わたしがこどものころには「見せ物小屋」が来ていました。もちろん有料でいわゆる木戸銭をはらって仮設テントの中で観覧する小屋です。
母はなぜだかその小屋が好きで、寒い中突っ立って、木戸口の客寄せ口上を見るのです。わたしは出店のお菓子を買ってもらえばそれでよく、帰りたいのですがそうもいかず横で見るハメになります。
おぼろにおぼえているのが、以下です。
「あら、かわいそうなかわいそうなたこ娘」
小屋の外に掲げられた絵看板には和服の抜き襟からにょ〜っと長く首が伸びている若い娘が描かれています。お化け屋敷のオープンセット版だったのでしょうか。
わたしとしては寒いし、中で座らせてもらえるならその方がよく、
「ねぇ、そんなにじっくりここで見てないで中で見ようよ。」
と母に言うのですか、に〜っと笑うだけで、やっぱり口上をただ聞いているのです。
生活にかかわることでも、母の生い立ちにも無関係だったようなので、ついに理由を聞くことなく、母がこの世界を旅立っていきましたので謎のままです。
わたしだけでなく、母親との思い出で腑に落ちない光景が記憶に残っている方々がいらっしゃるでしょう。親であったことはまちがいないけれど、知らなかった人でもあるのかなと、その季節が来ると笑ってしまいます。
悲しかった日と、なんだか変なひとだったなとほのぼのする日とが混じるのがわたしにとっての母です。
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