みなさま本日のご機嫌はいかがでしょうか。
先日チョ・ナムジュ氏著「82年生まれ、キム・ジヨン」の本編を読了し、文庫版での著者あとがき、それに続く解説、評論、刊末に訳者のあとがきが掲載されています。それらを続けて読み終えて、本編以上に心に重くひびくたくさんの事実を知りました。
チョ・ナムジュ氏が本作を執筆し始めた頃に、ネットスラングとして、
「ママ虫」
なる造語が生まれたと著者あとがきにあります。「ママ虫」とは育児せず遊びまわる害虫のような母親と、ののしる言葉だそうです。登場人物が我が子と公園にいたところを見て、近くにいた勤め人のグループの一人が言う会話の中で聞こえてきたと描写されています。この文章を読んで、投げつけられたこの言葉にわたしもまた悲しさとやりきれなさを感じた記憶がよみがえりました。
実母は美容室経営をしていました。地方都市に隣接する小さなまち、時代は昭和の中期、お客様はほとんど女性でした。底意地の悪い人だと母を見ていたわけではなかったのですが、繰り返し聞いた言葉にいつも違和感と嫌悪を感じていました。
「あのお客さんは家で遊んでる人やから、ええご身分や。」
この「遊んでる人」とは仕事を持たない主婦のお客様を指して言っていました。10代半ばから徐々にソリが合わなくなり、母からは叱られるか、言い合いをするかのどちらかが多い日々でしたが、この言葉には最もいやな気分になったものです。どうして、主婦の立場でいる人が「遊んでる」ことになるのだろう。
人はそれぞれの哲学を持っています。母にとっては仕事を持ち、家庭のことも担うのが正道だというのが哲学だったのでしょう。後年わたし自身が親になり、夫の家との関係悪化も抱える経験をしながら生きる中で、母が思っていたことを少しだけ理解しました。本人にはついに聞けずじまいでしたが、母はきっと彼女たちをうらやましく思っていたと察します。丈夫な体とはいえず、疲れやすい人でした。父は怠け者ではないとはいえ、わがままと気まぐれの人でした。生活を支えるため働かざるを得なかった毎日が実はつらかったのだろうと。そのしんどさを思いやり、助けてくれそうな娘とはソリが合わない。
「親孝行したい時には親はなし」の諺とおりの娘です。小学校低学年まではいつもまとわりつき、とても好きな母でした。主婦の立場でいたかったのかもしれません。「82年生まれ、キム・ジヨン」の作中「ママ虫」とさげすんだように言い、「俺も旦那の稼ぎでぶらぶらしたいよなあ」とも言います。これもきっと彼らが疲れすぎて、のんびりできない環境にほとほと嫌気がしているのでしょう。
一つの策で全員が納得できるとは思いません。折り合うところが見つかるまで考え続けるしかない、と思います。
語りかけるようなあとがきを書いて届けてくださった作者の「チョ・ナムジュ」氏、韓国文化を日本人の冷静な視線でわかりやすく解説してくださった、「伊東 順子」氏、大変辛口の評論文を書いてくださった作家「ウンユ」氏、小さな光を感じさせるあとがきを書いてくださった「斎藤 真理子」氏。各氏に謝意を申し上げます。
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